文章をまったく書けなくなった
文章を書くのは難しいことではないが、何らかのはずみで全く書けなくなることがある。
それは、自分のやっていることに疑問を感じたときだと私は思う。
・こんな文章を書いたところで何の役にたつのだろうか?
・書くのがつまらない、やる気が出ない
・こんな文章に読者が来るのだろうか?
・もっといい表現、もっと受ける表現は無いものか?
要するに、今やっていることに意味がないと思うから手が止まるのだろう。
私がそれを強く感じたのはトレンド記事を書いている時だった。
つまり、芸能人のスキャンダルや事件・事故を追いかけて記事を書いても、それが自分の役に立つことは一切無いと思ったからだ。
それでも、その記事が受けて読者数が爆発すれば、それに伴う収入があるからやる気になるだろう。しかし、そんな事は滅多にないので、無駄な事をやっているという意識でモチベーションがダダ下がりになってしまったということだ。
それでもやるしかない、読者を惹きつけるにはどうするか、もっといい表現は無いものか、などと考えて手が止まり、ついにはまったく書けなくなったので全てをぶんなげてしまったのだ。
ブログを書くことを目的にすべし!
私の失敗の一番の原因は目的意識に問題があったからだと思う。
つまり、「ブログによって収入を得よう→そのためにブログを書く」ということで、収入が目的でブログは目的ではなかったのだ。だから、収入という目的がはっきりしなかったことでブログの継続という意欲が途絶えたのだろう。
しかし、ブログを書くことを目的にしてそこに意義を持たせれば話が違ってくる。
つまり、「日々の経験や思いを日記で公表して少しでも人の役に立ちたい」という意義だ。
日記は立派なオリジナル記事!
ネットというのは玉石混合で役立つ記事からクズの記事まであるが、オリジナル記事ならクズの記事でも問題にはならない。
しかし、コピー記事の場合は害悪でしかないとして、厳しく咎められるそうだ。
コピー記事には内容がほとんど似通った記事も含まれているそうで、スキャンダルや事件・事故というのは同一題材なだけに内容が似通うことから、コピー記事またはそれと同等に無価値だと見なされる可能性が少なくないという。
しかし、日記ならば基本的にコピー記事にはなり得ない。
それは、同じ体験をしたとしてもそれによって感じることは人それぞれだからだ。だから、しょうもない日記であったとしても立派なオリジナル記事なのだから胸を張っていいだろう。
ただし、あまりに短い記事だったり文章のほとんどない写真の羅列だったりすれば読者にスルーされるだろうから、読者に興味を持ってもらう工夫は必要だ。
記事のネタは無尽蔵!
日々の経験や思いを記事にするとなれば、生きている限り記事のネタが尽きることはないだろう。
しかし、単調な日々の繰り返しだと似たような記事になってしまうかも知れないから、それを避けるために、これからはもっと小旅行をすることにしたいと思う。
近所の公園や山や川、寺社や仏閣、バスや電車の沿線の名所、行った店の雰囲気など、こうした些細な小旅行でも記事のネタには充分だ。
これに半日旅行や日帰り旅行を加えれば、お金のかかる旅行をしなくても記事のネタはいくらでもある。それに国内旅行や海外旅行が加われば、もはやネタは無尽蔵だ。
難しく考えないで気楽に継続する
このように、日々の経験や思いを記事にすることに価値があると思えば、書く題材がないと悩む事はなくなることだろう。
そして、自分のために日記を書くのだと思えば、読者の関心とか表現の工夫とかに過剰に神経を悩ます必要もなくなる。こうしてまめに記事を書くことに専念して記事数が増えれば、意識しなくても読者数が増え、それに伴って収入も増えることだろう。
ともあれ、日々のことを思いつくままに書けばいいという感じで、難しく考えないで気楽に継続するとしよう。